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2021クラファン成功祈願!|ただ共に歩こう|満島てる子

更新日:2021年7月1日



みなさんこんにちは。

さっぽろレインボープライドの満島てる子です。


このクラファン成功祈願の日記、前回担当したときは、自分のしんどかったことを思いっきり「しんどーい!ほんとしんどい!何よコ〇ナって!」と書かせていただきました。笑


いや、単にしんどかっただけじゃなくて、どうしてそれがしんどいのか、そのしんどさがあたしの「パレードはどうしても続けたい」という気持ちとどうつながっているのか、そんな部分もあわせて語らせてもらったものの…。


読み返して「いやどんだけしんどいねんお前!」と自分でも思わず突っ込んでしまうぐらいだったわ…。苦笑


お目汚しごめんあそばせ。

ただただ気持ちは「パレードのために、クラファン成功を祈って!」と思い書いたはずなのですが。いやはや、自分の中にいろんな気持ちがたまっていたんだろうなと、内省するばかりです。笑



あたし個人のことはともあれ、皆さんにはぜひ、引き続きさっぽろレインボープライドが開催できるよう、クラウドファンディングへのご協力をお願いする次第です。どうぞ、パレードを待っているすべての人の気持ちをかたちにするために、一人でも多くの方の力を貸してもらえれば幸いです。よろしくお願いします!


…と、書いたところで、やはりあたしに語ることができるのは、あたし自身の考えたこと、感じたことだけ(どれだけ理性的であろうとそこは誰しも変えられませんよね)。


今日は、昨今というか今年に入ってからのLGBT事情をずっとあたしなりに受け止め考える中で、「きっとこの気持ちは、この秋にパレードを開催するにあたって、そこに来てくれる人たちのすべてに対して響くものではなかったとしても、きっと聞いてくれるであろう一部の人たちに向けて、いつかどこかで伝えておきたいな」と感じていたことを、少し書きたいと思います。ちょっと回りくどい筆の調子になるかもしれませんが、許してくださいね。



すでにそう思っている人もいると思うのですが、2021年は日本という国において、かつてないほどLGBT(もっと言えばジェンダー)について政治的に語られ、様々な応援的/攻撃的な報道がなされ、とんでもない事件が起きたかと思えば、SNSでの乱闘に近しいような大騒ぎも何回もしかもそれぞれ別件であったりして、確実にこの上半期は「激動」であったように思います。


とある裁判での歴史的な勝訴。

とある有名な当事者カップルの破局。

とある法をめぐる政治家の無能。

とある場所での当事者の逮捕。

とある有識者の不用意な発言。

その他数えきれないぐらいの、様々なトピック…。


思い出して嬉しくなること、不快になること、たくさんありました。

「あんなこ~と~こんなこ~と~あ~った~でしょ~♪」と歌い飛ばせればいいのですが、そう簡単に片づけられる内容ではどれもありませんでした。


そして、これらに関するたくさんの人々の発信・発言のあり方も(まあほとんどがネット上でのものではあるのですが)、それぞれがそれぞれなりに、流し見るにはあまりに重かったり、過ぎるほどに稚拙だったり、けんか腰で暴力的だったり、真剣でかつ真摯であったり、涙を流さざるをえないほど心を揺り動かされるものであったり、もう様々すぎるほどに様々でした。



いろんな声が、喜怒哀楽すべて混ざるようにして目の前にあって、いろんな衝突がそこに存在していた気がします。当事者が当事者を批判するような瞬間や、それに対する再攻撃も目にしたりして、息ができなくなる時もありました。


「え?別にそうでもなかったよ?」という人は、それで大丈夫。生きている環境が、きっととっても健やかな方なのだと思います。

でも、少なくともあたしにとっては、これでもかというほどに、非常に激しく感情を揺り動かされた半年間でした。たくさんの叫びに囲まれて、全然穏やかじゃありませんでした。


穏やかではなかったことを「どうしてくれんの!」といろんな人に向かって非難したいわけではありません。

「声を上げなきゃ!」と強い決意をもって立ち上がってくれた人がいたことに、ひとりの人間として心から感謝し、こうべを垂れる気持ちになったこともありました。説明のために、先にぼかしたにも関わらず実例をあえて明記しますが、LGBT差別禁止法案をめぐる5月後半からの諸事情については、署名運動が行われたこと、抗議運動を行うひとたちがいたことで、救われた部分も個人的にあります。



ですが、いきかう数多のハッシュタグ、それに紐づけられた強い怒り、その怒りに対する軽蔑(しかも、嘆くべきことに当事者からの軽蔑もありました)、そのやり取りから生じる戦争ともとれる議論を目にすることで、「どうしてこういうことになるのか。理不尽な社会構造のせいで、どうしてその中に生きる人々が争わなきゃいけないんだ」とやり切れない気持ちになり、自分の心の大事な部分をたくさん削られたというのは否定しようのない事実です。

それを言い訳にするのも恥ずかしいのですが、パレードの副実行委員長という他から見れば「たたかう」べき立場でありながら、あたしはこの問題について何か語ることも、何か行動を起こすことも当時は全くできませんでした。


札幌のパレードを支えてきてくだっさった先輩方から教えられた言葉に「沈黙は死」というものがあります。

あたしはこの言葉を大切にしながら、2018年から「どうやって自分なりに声を上げることができるか」ということを考え続け、パレードに携わる人間として活動してきました。誓って言いますが、これからもきっとその方針は変わらないと思います。


ですがこの2021年に一つ学んだのは、あまりに数多の叫びにさらされると人は自然と沈黙し、耳を塞がざるをえなくなってしまうということでした。

そして、さらに思いを馳せたのが、そういう状況に追い込まれてしまっている仲間たちが、他にもおそらくいるのではないかということでした(「もう見ていられない、SNSを去ります」と宣言した当事者の文筆家もいて、個人的にファンの方だったので衝撃を受けました。

その語りを聞くに、背景には今述べたような事情がひとつあるように思います)。ましてや、このコロナ禍です(まだこの単語言うか!(笑))。ただでさえ誰もが疲弊している中で、向き合うエネルギーのなさから貝になってしまうことは、想像に難くありません。





ただ、もしそんな沈黙に少しでも陥った誰かがこれを読んでくれているなら、その方にはぜひこう伝えたいです。


——LGBTに関する様々な叫びは、これからもいろんなところで上がることでしょう。もちろん、あたしたちが今開催に向けて準備しているパレードも、その叫びを上げるためのひとつのひらかれた場所です。

ですが、それと同時にパレードは、歩いてくれている人が、その人の抱える弱さや脆さまでひっくるめて自分を認められる機会となるような、自己肯定の場でもあってほしいとあたしは思っています。

だからこそ、耳を塞いだままでも、口を閉じたままでもいいから、ただ共に歩いてほしい。あたしもきっと、自分の中に一時生まれた沈黙を抱えながら、札幌の街を歩くから、と。



2021年のさっぽろレインボープライドは「パレードを待っている誰かのために」を合言葉にしていますが、その「誰か」がどんな風にパレードという場所を求めているかは、それぞれのあり方で、そのままでいいはずです。こんな激動の年だったからこそ、この秋の札幌の空の下には、いろんなスタンスのひとたちが、それぞれ笑顔で一緒にいてほしい。本当にひとりでも多くの人にとって、さっぽろレインボープライドが自分らしくいられる居場所であってくれればと、常にあたしは願っています。


そんなこんなで、またまた今回も、あたしの気持ち、たくさん吐き出させてもらっちゃったわ。苦笑

読んでくださった方、どうもありがとう。またいずれ。


一緒に世の中を変えていきませんか?




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