2021クラファン挑戦中!|「普通」という言葉の定義|みき
- 実行委員
- 2021年6月17日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年7月1日
こんにちは、さっぽろレインボープライド実行委員のみきです。今日は「普通」という言葉で私が考えていることをお話ししたいと思います。
江戸時代に、塙保己一(はなわほきいち)という盲目の学者がいました。
ある夜、保己一が自宅で弟子たちに学問を教えていました。
すると、風が吹いてろうそくのあかりが消えてしまったのです。
弟子たちは何も見えません。
そうとは知らずに話を続ける保己一。
弟子が言いました。
「先生、少しお待ちください。いま、風で
あかりが消えました。」
弟子たちが慌てているのを知ると、
保己一は笑いながら冗談を言いました。
「目が見えるというのは不自由なものだ。」
「目が見えないことは不自由」だと思うことは、普通なのか? 普通じゃないのか?
そもそも私が普通って思う感覚は一体どこからくるのか?
この感覚は、そのときの環境だったり、私自身のあり方や心の持ち方だったりで変わってしまう。
塙保己一は戦前の国語や道徳の教科書に掲載されていた偉人で、あのヘレン・ケラーも尊敬したそうです。
この教科書で学んでみたいなぁ。普通って何なのか、答えがあるのか、ないのか。
なぜ戦後の教科書で消されたのか。
ちなみに赤飯には甘納豆(大)が私の普通です。
これは生まれてきた環境が支配しているのかなぁ。
だからといって、あずきや甘納豆(小)を受け入れないわけでもない。

赤飯だけじゃなくて、相手が普通と思うことを、「あーそうなのね。それでいいんじゃない。」くらいのゆるさでみんなが受け止めれたら、もっと優しい世界になるのにね。
活動報告になっていなくて、すみません。
そして、クラウドファンディングのご支援ありがとうございます!
引き続きよろしくお願いいたします。
一緒に世の中を変えていきませんか?

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